メディア掲載01 手技療法年鑑
手技療法年鑑
2003年度版 手技療法年鑑 (月刊手技療法 別冊) 発行:2003年1月1日 出版:たにぐち書店 手で癒す大辞典!!
・あん摩 ・マッサージ ・指圧 ・カイロプラクティック ・整体 ・オステオパシー ・推拿 ・療術 ・リフレクソロジー ・アロマテラピー 手技療法のすべてを網羅
付録 ・各種手技療法の法的解釈について ・各団体名簿 ・鍼灸専門学校ガイド ・手技療法関連書籍ガイド |
2003年に出版された本です。
各種療法の専門学校などを紹介した書籍です。
この本は国立国会図書館(東京本館)にも並べられているそうです。
当時、整体の専門学校で講師をさせて頂いていた時の記事。
学院長の職を仰せつかっていた頃の写真です。
まだ20代前半。 まだ痩せていましたねー ^^;
通信機器メーカーの技術者だった私が、サラリーマンを辞めて整体の専門学校に入学。
とにかく無我夢中で勉強、練習に昼夜を問わず猛特訓をしていた時に、母校の理事長に拾っていただき、本物の技術を一から叩き込んでいただきました。
乾いたスポンジと同じで、一番初めに学ぶ技術が治療家としての基本の技術になると言っても過言ではありません。 一番初めに癖のある技術を吸収してしまうと、後で修正するのが大変です。 私の場合は運よく一流の先生の下で修行することができました。
右も左もわからぬクソガキを、時には厳しく、時には優しくご指導を頂きました師匠、兄弟子に心から感謝です。
今でも師匠の方角には、足を向けて寝れません。
掲載された記事です。
一部抜粋をしたのですが、それでもとても長いです。
それでも読みたい! って人だけお読みください。
■整体・カイロ・指圧の有機的統一
年鑑には初登場だが、ユニオン整体専門学院の歴史は古い。
自由学園に近い、緑に包まれた閑静な住宅街の一角に、同学院はある。
昭和40年、設立当初からこの地にあって、1200~1300名もの卒業生を世に送り出してきた。
平成元年に専門学院に改組し、現在は自社ビル40坪(132平米)で指導している。
田中秀宜理事長の修業時代、むろん学校などというものはなかった。
一種の徒弟制度の中で、師の技術を見よう見まねで覚えていくのが療術の世界だった。
田中理事長がこうした風潮に抗して同学院を立ち上げた背景には、
「せっかく縁あってこの時代、この社会に生まれた以上、
自分が習得したものをわが身ひとつに留め置くことなく、
世のため人のために役立てたい」という思いがある。
「ユニオン整体」の中核となるのは、整体とカイロプラクティック。
カイロが何であるかもほとんど知られなかったこの時代、
田中氏もやはり最初は整体の師につき、その後指圧や鍼灸の学校に通って、
カイロは独学で学ぶことになった。
こうした経歴を反映してか、田中理事長の治療実践においては
整体とカイロと指圧の方法論が有機的に統合され、渾然一体となっている。
こうした特徴は「後進国」ゆえの特種事情などでは断じてない。
「先進国」アメリカでも、現在は事前に周辺筋肉の弛緩操作をし、
それからアジャストするやり方が主流になってきつつある。
我が国がいちはやくこうした流れを先取し、諸外国にない独自の療術を築いていったのは、いわば歴史の狡智ともいえようか。
—中略—
徹底した少人数制を敷いており、定員は各クラス8名。
しかも実質はおおむね6名くらいだ。
2人で組んだとしてもベッド3台。
脊柱を操作することは危険が伴い、首や骨盤への操作となるとさらに危険度は増す。
生徒のレベルにも個人差というものがあるし、ベッドの高さも生徒の体格に合わせる必要がある。
だいたいこの程度が講師1人とアシスタントが教えられる人数の限界であり、当然少数精鋭となる。
実技が進むと、生徒にも自分の不得手な部分がわかってくる。
補講は何度でも受けることができるが、ただし本人が一生懸命であることがその前提。
また、スラストに関しては、授業では型だけ教え、後はインターン実習で済ますところが多いが、
本学院では学校側が責任をもってスラスト技術を教え、充分身につけさせてから社会に送り出す方針という。
修了者には学院から卒業証書を発行。
また、希望者には学院の所属する全日本カイロプラクティック師協会から認定証が発行される。
卒業後は自営が多く、開業するのは約35%。
授業でも将来の開業を見据えて「治療経営学」なる講義を用意し、開業時、あるいは開業後の経営・運営ノウハウを叩き込む。
就職は接骨院、スポーツクラブなどが多い。OBが就職先で他校の卒業生より頼りにされることが多いのが自慢である。
「在学中の細やかな指導のありがたみや大切さを、就職してから実感した」と言ってもらえるのが、なによりうれしいという。
教育レベルを一定に保つためにも、このいたれりつくせりの精鋭教育は今後とも堅持していく方針だ。
■癒しに携わる者の自覚
療術学校の経営は自動車学校などの経営と違う、それは直接・間接に癒しの業に携わる「聖職」なのだと田中理事長はこだわりを持つ。
たしかに経営が成り立たないと教育はできないし、少人数制の教育では経営を軌道に乗せていくのは難しい。
「しかし」と理事長は言う。
「少人数でもいいから、心があり、技術があるちゃんとした人を世に出していければ学院の目的は達せられるのです。
だから真剣に学ぶものだけを受け入れるんです。
続けられるかぎり、この方針でやっていきます。
私ひとりでできることは限られていますが、自分と同じ志をもった人があちこちにいっぱい出てくれば、カイロは確実に向上していくんです」
大宇宙の法則と人体の自然治癒力を結びつけ、共鳴させていくカイロプラクティックの精神は、理事長に深い感銘をあたえた。
それはまた、同学院の教育の根本理念ともなっている。
「今の人は幸せ」というのが、理事長の口癖だ。
ちゃんと理論を解説した教科書を渡されるし、教師には丁寧に教えてもらえる。
それだけに自分たちの時代と比べ、生徒に「欲」がないのがもどかしい、ともいう。
授業にもっと早く来ればいいのに、もっと遅くまで学校に残ればいいのに、と思う。
先生たちはやさしいし、生徒にも評判はいいが、遅刻や無断欠席があると、他の誰よりも怒るのが田中理事長なのだという。
人間教育を重視する同理事長、言葉の端々に「癒しに携わるし事」「病んでいる人に接する仕事」というフレーズが登場する。
人間形成あっての技術であって、その逆はありえない。
相手を思いやる心、痛みのわかる心が大事であって、「品行方正でも無感動な優等生」より「犯罪を犯して後悔している人」のほうがまだよいとも。
「心ある治療、癒せる力があれば、経営は自然とついてくるものなんです。先に算盤をはじいてはいけません」
昭和46年に全日本カイロプラクティック連盟が組織され、多くの人々がそのもとに集結していったあの時代、
田中理事長も「ささやかな組織をつくって馳せ参じた」という。
いま、学院は全日本カイロプラクティック師協会の会員となっている。
カイロ界の財団設立に向けての動きは頓挫したばかりだ。
みんなが自分のプライドにじゃまされず、カイロも整体も手を取り合って社会に働きかけていれば、法制化の道はおのずとひらかれるのではないか–。
昨年学院長を臼田学人氏に譲った田中秀宜氏だが、「手技を通じた人間形成」にかけるその決意と情熱は不変である。
- 八王子・みどり堂整骨院
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